大塚労務管理事務所    

先生の事件簿

2007年10月22日 13:00

 五十里ダムの今年の水量は多い

 

追跡 アスベスト禍 中皮腫治療 見え始めた光
 環境ルネサンス 4
 兵庫県尼崎市の武沢真治さんが、胸に痛みを覚えて受診したのは3年前の夏の47歳の時だった。「肺にウミがたまっている」と言われ入院。医師からアスベスト関係の職歴を聞かれたが、心当たりがなかった。医師は首をかしげ、痛みを和らげる治療が行われた。
 5ヶ月後に転院。がんの一種、中皮腫と診断され、再びアスベストとの接点を尋ねられたが、答えられなかった。
 すべてが氷解したのは2005年6月、「久保田」の旧神崎工場(尼崎市)周辺住民の健康被害が明らかになった時だった。武沢さんも子供時代、この工場近くにに住んでいたのだった。
 武沢さんはその3カ月後、亡くなった。兄の泰さん(53)は「もっと早く病名がわかっていたら」と、診断の遅れを悔やむ。
 中皮腫の潜伏期間は20年〜50年。アスベストが多用された1970年〜80年代の被害が表面化する時期を迎えた。06年に中皮腫で亡くなった患者は1050人。10年前の1.8倍だ。2039年までに死者が10万人にのぼるという予測もある。
 中皮腫は発症すると進行が速い。早期発見が重要だが、臨床経験のある医師が少なく、発見は遅れがちだった。事情は肺がんでも同じだ。
 東京都江東区の「ひらの亀戸ひまわり診療所」は長年、健康被害者の治療にあたってきたが、主治医から「たばこが原因」と言われ相談に来る患者が少なくなった。名取雄司医師(49)はその度、主治医を訪ねて再検討を促したが、「アスベストで肺がんにはならない」と言われたこともあった。
 名取医師は「クボタの問題などを機に医師の意識も変わったが、今も見落としがまったくないとは言い切れない」と指摘する。
 ☆アスベスト関連病☆の早期発見を担う拠点が、全国22の労災病院に整備されたのは05年9月。もっと充実した検診、治療体制を望む声は多く、医療側の動きも出始めている。
 川崎医大や国立がんセンターなど6機関は今年、中皮腫の新たな早期診断法や標準的治療法の確立を目指し共同研究を本格的にスタートさせた。全国規模での臨床試験を来月から実施する計画だ。今年1月に国内で初めて承認された中皮腫治療薬などを使って、より有効で安全な治療法を検討していく。
 研究グループの中野孝司・兵庫医大教授(55)(呼吸器内科)は言う。「早期発見された中皮腫の場合、新薬などで完治の可能性が高まっている。光は見え始めているのです」
 ☆アスベスト関連病☆
 中皮腫、肺がんのほか、石綿肺、胸膜炎などがある。石綿肺はアスベストに10年以上さらされた人がなるとされるが、中皮腫や肺がんは短期間でも発症例がある。肺がんは組織から一定量以上のアスベストが見つからなければ判断しにくいケースもある。
 (この連載は大阪社会部・科学部が担当、編集したもの。)

2007年10月21日 13:00

追跡 アスベスト禍 建設現場で被害 提訴続々 
 環境ルネサンス 3
 大阪城の北東、高層ビルが林立する大阪ビジネスパーク。「ここは粉じんが特にひどい現場だった。」大阪市淀川区の元建設作業員森本秀邦さん(69)は、あるオフィスビルの前で足を止め、奥村太郎弁護士(35)に語りかけた。
 1964年から30年以上、ビルの内装工事に従事した。天井ボードの据え付けが主な仕事。大半の現場で耐火用のアスベストを削り落さねばならなかった。もうもうと粉じんが舞う中での作業だった。
 出勤途中、突然、胸が激しく痛み、路上で倒れたのは95年。じん肺の一種の石綿肺にかかっていた。
 仕事を回してくれた内装業者に相談したが、らちが明かなかった。元請けの大手ゼネコンも、「うちは石綿を使っていませんよ」というだけ。その後、労災の認定は労働基準監督署の裁量で得られたが、激しくせき込んで息苦しくなる度に怒りがこみ上げた。「誰がこんな体にしたのか」
 昨年2月、多くの現場で元請けだった大手ゼネコン2社を相手に損害賠償訴訟を大阪地裁に起こした。十分な安全教育や防塵マスクの支給などの配慮を怠ったと主張している。
 かつて働いていた現場は数百か所。それを一つ一つ訪ね、アスベストの使用状況を立証しなければならない。解体、改修されたビルもあり、徒労に終わることも少なくない。だが森本さんは、くじけない。「建設作業員はみな私と似たような境遇にある。私だけの闘いじゃない」
 日本に輸入されたアスベストの約9割は建材に使用された。建設作業員は吹き付けや建材の切断など様々な場面で危険にさらされてきたが、被害を訴えるケースは従来多くはなかった。
 森本さん同様、各地の現場を転々とし、雇用関係が不安定なケースが多い。アスベストを吸引した認識がないまま病に倒れた人も少なくないからだ。
 中皮腫と肺がんの労災認定状況をみると、建設業では2004年度までの5年間で176件だった。05年に社会問題化してから急増し、06年度では847件に達した。埋もれていた被害の大きさを物語る。
 建設現場で長年、清掃員として働き、中皮腫で亡くなった女性の遺族が9月、元請けのゼネコンを相手に大阪地裁に提訴した。ビルの内装をしていた長崎市の元建設作業員らも訴訟の準備をしている。
 首都圏の建設作業員らは国や建材メーカーを相手取った集団訴訟を検討している。作業員らの相談に応じてきた東京土建一般労働組合の三宅一也・常任中央執行委員(56)は「泣き寝入りはしない」と決意を語る。
 高度経済成長を下支えした人々の不満と憤りが、吹き出そうとしている。

 健康被害の広がり
 アスベストは建材のほか、車や機関車のブレーキ、船の配管など多様な用途に使われた。このためアスベスト関連工場従業員や建設作業員のほかにも、旧国鉄や変電所職員、船の機関員らが中皮腫や肺がんになるケースが続出している。
 

一時「日本一」と言われた五十里ダム
ダムサイトから下を見るとビックリします。

2007年10月20日 13:00

      紅葉の始まり

 

 追跡 アスベスト禍 関連病救済 企業間で格差
 環境ルネサンス 2
 横浜市鶴見区のJR鶴見駅から歩いて10分。旧朝日石綿工業(現・エーアンドエーマテリアル)の横浜工場は、公団住宅や公園が広がる一帯にあった。
 1924年創業。75年に茨城県に移転するまでアスベストを含む建材を製造した。「子供のころ、工場から毎日のように粉塵が飛んできた。外に干した布団が真っ白になるほどだった」。近くで育った池田達哉さん(68)は振り返る。
 昨年から今年、工場周辺に居住歴がある36人からアスベストを吸い込んだことを示す病変「胸膜肥厚班」(きょうまくひこうはん)がみつかり、アスベスト関連病の中皮腫による死者も明らかになった。
 池田さんも胸膜肥厚班が確認された。良性で治療は必要ないが、「今後、私は生涯健康に不安を抱き続けねばならない。なぜなのか」と憤る。6月、約20人の仲間と被害者の会を結成し、謝罪と償いを求めてエー社と交渉を始めた。
 アスベスト禍は一昨年6月、大手機械メーカー「クボタ」が従業員に加え、その家族や兵庫県尼崎市の旧神崎工場周辺住民の健康被害を公表したことで、労災の域を越える問題に発展した。
 大阪、奈良、岐阜、佐賀などで住民被害が次々と明らかになり、環境省は全国6地域で健康リスク調査に乗り出した。被害が深刻な地域は判明しつつあるが、新たな問題も顕在化した。企業による救済の格差だ。
 問題の震源地となったクボタは昨年4月、中皮腫などになり石綿健康被害救済法の適用を受けた工場周辺住民らに最高4600万円を支給する救済制度を設けた。だが、他の企業はここまでの救済措置は打ち出せていない。
 大阪府河内長野市の関連工場の近くに住み、05年に中皮腫で亡くなった男性(当時52歳)の場合、同法は適用されたが、工場側は「因果関係が不明」などと遺族への救済措置を拒んでいる。「同じ病なのにおかしい」と、被害者支援活動に取り組む関西労働者安全センターの片岡明彦次長(48)は指摘する。
 「水俣病の過ちを繰り返しかねない」。大阪市立大名誉教授の宮本憲一さん(77)は現状を憂う。
 国は住民の健康被害を公害と位置づけておらず、クボタでさえ、まだ旧神崎工場から飛散した粉塵が原因と認めていない。この状況が、原因特定の遅れから被害者が長年放置された水俣病と重なって見えるという。宮本さんは訴える。
 「国が公害と認めないから住民は企業との個別交渉を余議なくされ、救済に格差が生じている。国は一刻も早く、企業と自らの責任を明確にすべきだ」
                     ◇
                 石綿健康被害救済法
 アスベスト関連工場周辺住宅や従業員家族らの救済目的で昨年3月施行。迅速な救済のため、被害原因を特定したうえで、補償ではなく、見舞金的な給付となっている。遺族に約300万円、患者に治療費の自己負担分などが支給される。対象疾患は、中皮腫と肺がんに限られている。

 環境省の健康リスク調査対象の6地域と、住民の健康被害
 ※数字は死者と療養者。( )内は療養者
 クボタ旧神崎工場(兵庫県尼崎市)     胸膜肥厚斑 11
                           中皮腫 137(18)
                           肺がん 2(2)
 大阪府泉南地区               胸膜肥厚斑 15
                           肺がん  1 (1)
 ニチアス羽島工場(岐阜県羽島市)     中皮腫 4
 旧朝日石綿工場横浜工場(横浜市鶴見区) 胸膜肥厚斑 36
                            中皮腫 2
 ニチアス王寺工場(奈良県王寺町)      中皮腫 3
                            肺がん 2(2)
 竜田工場(奈良県斑鳩町)           中皮腫 3
 旧日本エタニットパイプ(佐賀県鳥栖市)   胸膜肥厚斑 2
                            中皮腫 1

2007年10月10日 13:00

 読売新聞 追跡 アスベスト禍 原点の地 今も続く苦しみ 
 環境ルネサンス  1
 1枚の古ぼけた写真がある。大阪府泉南市の柚岡(ゆおか)一禎さん(65)が保管している。プロペラ式戦闘機の前に、一張羅を着た男性ら約70人が誇らしげに並ぶ。
 日米開戦直前の1941年11月、泉南地域のアスベスト(石綿)業者たちが旧日本軍に「石綿号」を献納した時の記念写真だ。業界の繁栄を物語る。
 泉南地域はアスベストから糸や織物を作る紡織産業の発祥地。歴史は約100年前にさかのぼる。戦前戦中は軍艦の断熱材などに重宝され、特需に沸いた。
 だが関連工場従業員に肺を病む人が多いことは当時から知られていた。調査を行った旧内務省関係者から法規制の必要性を指摘する声も出たほどだった。
 「祖父です」。柚岡さんが写真を指さした。「祖父の経営する工場で体を悪くした人もいた。祖父も肺を病み死んだ。泉南地域はアスベスト禍の原点だった」
 昨年8月、大阪地裁大法廷。同府阪南市の岡田陽子(51)が声を振り絞った。「国は危険性を知りながら放置した。絶対許せない」。国のアスベスト対策の遅れの責任を問うて、全国で初めて提起された国家賠償訴訟の原告の一人だ。
 アスベストは戦後も建材や自動車のブレーキなどに使われ、経済復興や高度経済成長を支えた。泉南地域では、70年代に事業所が200を超え、紡織では市場占有率が7割に達した。
 が、この間にも新たな被害が次々生み出された。
 岡田さんにアスベスト関係の職歴はない。ただ両親が55年から阪南市内のアスベスト関連工場で働き、隣接した社宅で12歳まで過ごした。幼いころは工場で製品を運ぶかごの中で寝かされていた。父はアスベスト起因とみられる肺がんで亡くなり、母(71)も20年以上前から石綿肺を病む。
 酸素を取り込む機能が低下するじん肺の一種。岡田さん自身も石綿肺で酸素吸入器を手放せない。「母は私に謝るのです。『石綿の怖さを知っていたら、工場へ連れて行きはしなかった。石綿の仕事はしなかった』と。けれどもそれは母親の罪なのでしょうか」「泉南地域ではほかに産業が育たず、アスベスト関連工場で働くしかなかった人が多い。業者の大半は零細で労働環境の整備は望めなかった」と、柚岡さんは事情を語る。
 柚岡さんは今、「泉南地域の石綿被害と市民の会」の世話人代表を務め、被害の掘り起こしに取り組む。
 祖父は戦後、アスベスト産業から手を引いたが、その工場で健康を害した人がいたのは事実だ。だから罪滅ぼしの気持ちがある。
 しかし、それだけではない。「国は経済発展を優先し、泉南地域の被害者を見殺しにした」。そんな疑念がどうしても消えない。
 国は法的責任を全面的に争う構えで、国の対応が適切だったかどうか、被害の原点からの問いかけはこれから正念場を迎える。
                       ◇
 産業発展の光と影を色濃く映すアスベスト禍。その被害の現状を追う。
                       ◆
 泉南アスベスト禍国家賠償訴訟
 大阪府泉南市・阪南市にあったアスベスト関連工場の元従業員らが昨年5月に初提訴した。現在、原告は25人で請求総額約7億5500万円。原告側は「国は約70年前から被害を認識していたが無策だった」と主張。国側は「その時々に有効な法令を整備し、監督権限も適切に行使した」と反論している。
 

 キャンプ場から見る 男鹿山

2007年10月6日 13:00

     心の森キャンプ場 
    ピザ釜 薪釜がある棟

 

 新志会・アスベスト労働災害対室・手続き経過報告をNさん担当から報告された。
 1 対象労働者の現況。
  死亡診断書から直接の死因は、「癌性腹膜炎」原因は「悪性胸膜中皮腫」60歳前頃から体調異変が始まり、平成14年8月23日死亡。
 2 回答の一部(詳細は処分決定後に報告される)
 ★  現在、国内では医学的に中皮腫の発症原因は、ほぼ、石綿とされている。
 ★  昨年のクボタ尼崎工場でのアスベスト騒動以前にも、アスベスト問題は存在し、昭和53年には、労災補償の対象職業病とされている。
 ★  国内での石綿消費量と石綿疾病の潜伏期間からすると、今後、大量の犠牲者がでる。
 ★  本年3月には、「アスベスト新法」が公布された。
 ★  労災認定を得るには、業務上でのアスベストとの関わりを立証しなければならない。
 ★  労災の遺族補償時効まで1年余である。
 ★  社労士は国家公務員かの質問に社労士の業務、組織、栃木県会が独自に「アスベスト労働災害対策室」を設け、無料相談会を実施している目的等を説明した。
 ★  現在・監督署で事実関係を調査中。結果が出たら詳細に報告する。

 「中小企業の安全管理」もNさん担当。
 前職時を含めて労働安全に関わり20数年を過ぎたが、前職時の大半は、「ヤラセル」「ヤラサレル」労働安全であり、「ヤラセル」方も意味不明、「ヤラサレル」方も仕方なくの安全活動であった。その状況下の平成7年11月、重機転倒による死亡災害が発生。病院へ駆けつけ、遺体安置所の前で待っていたこと。病院から遺族のもとへ遺体を搬送したこと。遺族に棺を引き渡し時。葬儀のこと。生涯忘れることができない。
 現在は、教育・指導・指示、役所用語をなるべく使わずに、仕事のやり方を教える段階で、やさしい言葉で安全についても、教えるよう努力している。
 このように、安全活動を身近に教えたことを、会社として記録させる。
 解りやすい安全活動を報告された。「Nさんに乾杯!!…」



 オープンセミナーは「自賠責と労災」はTさん担当。
 「自動車損害賠償保障法」
 自動車事故の被害者を救済するため、昭和30年に指定された特別法。
 1 自動車人身事故の損害賠償については、民法上の過失責任主義に変えて、加害者側が責任のないことを主張・立証しない限り、責任を逃れることはできないとして、無過失責任に近づけ、被害者の保護を図っている。
 2 加害者の賠償資力を常に確保するため、次のような制度を設けている。
 ★  強制保険制度(自賠責保険)
 ★  政府保障事業
 3 自賠保険の特色
 ★  人身事故に限り填補される。
 ★  被害者1名ごとに支給限度額が定められている。
 ★  加害者は、被害者の損害を支払った範囲で、加害者請求(15条)請求することができる。
 ★  被害者は、直接保険会社に被害者請求(16条)することができる。但し、15条請求と16条請求が競合した場合は、15条請求が優先する。
 ★  減額規定がある。
 ★  公的保険であるが契約を基本にして保険関係が成立している。
 ★  死亡事故の場合、合計3千万円まで(葬儀費・逸失利益・慰謝料)
 ★  傷害事故の場合、合計120万円まで(治療費・休業損害・慰謝料)
 ★  障害事故(後遺症)障害の程度(1〜14級)に応じて3千万円〜75万円
 4 任意保険とのちがい
 ★  自賠責の上乗せ保険
 ★  傷害事故で治療費が120万円を超えるケースがある。
 ★  死亡事故では、自賠責は3.000万円が限度だが、被害者への補償額が「億単位」の金額になることもある。
 ★  物損事故(車両・積載物・ガードレール・電柱等の構築物などの物的損害)
 ★  加害者にとって強制保険=自賠責保険でまかないきれない超過分及び物損部分の補償をカバーする目的で設けられた。
 5 健康保険・労災保険との関係
  通常、医療機関では交通事故の治療費を健保より高く設定している関係もあって、自賠責保険よる治療を優先させているのが一般的。しかし、自動車事故による負傷者について、健康保険・労災保険で治療を受けることも可能。被害者の申告した保険が優先。いずれにしろ、複数の保険から補償を重複して受け取ることはできない。
 Tさんが苦手としていた、自動車事故の処理に絶対の必要性から広く・深く勉強され、報告された。「Tさんが今後得意分野を広げた。非常に難しい内容だが、皆さんも理解するとともに、資料として、参考になるでしょう。Tさんに乾杯」

2007年9月1日 13:00

 新志会・「労働契約法案」・「改正労基法案」Nさん担当。
 労働契約法案と改正労基法案との関連について、各条文ごとに説明された。
まだ、法案の段階で、これからどのように修正されるかは、景気の動向によっても、大きく影響されそうである。
 オープンセミナー・「労災保険法・第三者行為災害について」Sさん担当。
 労災保険法第12条の4(第三者行為災害)「求償の考え方」@求償の範囲及び額。A求償しない場合を通達に基づいて説明。また、「控除について」も詳細に渡って説明された。第三者行為災害で最も多い自動車事故によるものの関係で、自賠責保険等との関係では、念書について注意され、労災法第12条の7(受給権者の届出等)念書の提出義務は法的根拠は全くないことを詳細に説明され、被害者救済・権利保護を強く指導された。Sさん本当によく勉強され、「御苦労様でした」
 

 ピザ釜 薪釜棟の装飾用ランプ

2007年9月1日 13:00

 平成15年労第77号・(不整脈死亡事件)審査会から棄却処分される。請求人から9月3日、地裁に提訴しないと連絡あった。

2007年8月24日 13:00

 

 

労働保険事務組合自主研究会
 特別加入者過労死・再審査事件・Mさん発表。
 小山の男性運転手・個人事業者に過労死認定・労働保険審査会が逆転裁決
 佐野労働基準監督署が、長時間労働の末に死亡した男性運転手の労災を認定しなかったのは不当だとして、小山市羽川の運転手の妻が不服を申し立てた再審査請求で、国の労働保険審査会は15日までに、男性の死亡は「業務上の事由によるものと認められる」と実質的に過労死を認定し、同労基署の処分を取り消す裁決を出した。
 男性は労働基準法対象外の個人事業者で、妻の弁護団は「通常の労働者と同じように業務上の死亡と認められたのは全国でも初めてだろう」と話している。
 裁決について栃木労働局は「今後このようなことのないよう、しっかり事実認定を行い迅速適正な処理に当たっていきたい。佐野労基署には速やかに支給決定するよう指示した」としている。
 過労死が認められたのは、青柳武さん=当時(37歳)。1999年にダンプの修理中に心筋梗塞で死亡した。
 青柳さんは自分の所有するダンプの運転手として、他社の業務を請け負う個人事業者。労基法の対象外だが、労働形態が一般労働者に準ずるとして労働保険に特別加入していた。
 妻の都代子さん(42)は同年、長時間労働による業務上の死亡だとして、労災保険に基づく遺族補償年金などの支給を佐野労基署に申請したが、認められなかった。
 これを不服として、栃木労働保険審査官への審査請求を経て、2003年に審査会に再審査請求。
 さらに昨年、宇都宮地裁に同労基署の処分取り消しを求め提訴した。同労基署は「男性は個人事業者で、労働時間は裁量で調整できたはず」などと反論していた。
 同日午後、宇都宮市の県庁記者クラブで会見した弁護団は「労働者から請負など、雇用形態が変化している中で、意義のある裁決」と評価した。裁決を受け、提訴を取り下げる方針。
 05.6.16. 下野新聞の報道記事より
 請求の経緯から業務上疾病についての法令上の根拠・認定の基本的な考え方・平成13年12月12日付け基発第1063号の通達説明・弁護団から裁決書の写しの取得・内容研究、そして研究会での発表とMさんの勉強熱心が伝わってくる研修会となった。Mさん、ありがとう。

2007年8月4日 13:00

 新志会。「障害厚生年金の事例」Mさん担当。
@障害の原因となった初診日に被保険者であったこと。
A障害認定日において障害の程度が一定の基準以上の状態であること。
B保険料納付要件を満たしていること。
 「脳腫瘍」発症・5年前にも発症し、入院手術をした。2年前に再発症。
 非常に忙しい主治医の意見を再三求める努力により、以前の脳腫瘍と今回の脳腫瘍とは部位も腫瘍の性質も別物であり、相当因果関係も認められない。との意見書により、障害厚生年金請求に至った。
 我々は医学には「うとい」ので、主治医の意見をどこまで正確に聞きだせるかが仕事であると思った。やはり足・耳を惜しみなく使い「しっかり」被保険者に代わってキチッとした請求事務を行いたい。「Mさんに乾杯」

 オープンセミナーは「遺族補償給付・葬祭料」Nさん担当。
 遺族補償年金・遺族補償一時金・葬祭料・特別支給金について、詳細に説明。請求用紙の記入の仕方・注意点まで説明された。資料をもとに・参考資料による請求書提出に関する添付書類の説明、特に死亡診断書と死亡届記載事項証明書の価格の差、また法務局に回ると証明を受けるのが大変なこと。関係法令・通達まで解説・遺族厚生年金関係との調整まで発表され、経験のない会員にとっては、今後、初体験となる労災・通災による不幸な死亡事件を取り扱う場合は、非常に大きな武器・資料となることでしょう。「Nさん御苦労様でした」
 

 

2007年7月31日 14:00

 

 

 住宅新築工事現場で転落事故。社長・部長が遠方から駆けつけた。事情を詳細に聞き取り、手続き開始。
これから派遣・パート・アルバイトなどで経験のない社員が怪我する可能性は大きい。入社時教育を徹底的に行い、下請け会社の特別加入の確認も必要である。

2007年7月29日 21:00

 参議院選挙・20.00.より速報・テレビをつけると、すでに当選確実の報道。出口調査を頼りに報道しているらしいが、あまりの速さに驚いた。民主党が圧倒的な勝利・予想を上回る得票。自民党惨敗・アチコチのチャンネルをみていた為、飲み過ぎ。疲れたので就寝。

2007年7月23日 10:30

 社会保険事務所の担当者が来所。単純な事例でも腰が軽くなった感じを受けた。社保庁バッシングの影響かもしれない。  

 

2007年7月18日 13:30

 

 

 S社・K社に労働基準監督署が入り、臨検に立ち会う。今、話題となっている「偽装請負」を調査したかったらしい。基本的な検査の記録の保管・教育について指導を受けた。

2007年7月7日 13:00

 新志会・七夕の日・「業務上の災害(死亡)による訴訟の途中経過」Fさん担当・弁護士さんの準備書面に至る社労士・事業主・社員の説明必要性をしっかり解説された。「障害補償給付について」Mさん担当・併合・準用・加重と細やかに説明・障害等級表と解説書を基に解釈例規まで。理解するまでが大変な研修となった感がした。感謝!!!!!
前日報道された「電子申請」の欠陥放置・厚生労働省・「早急に対応すべきだった。反省している」とのコメントに、昨年12月から放置しながらの釈明に全員ただ「アングリ」
 

 

2007年7月2日 14:00

 

 

 引き継ぎ・事務局。終わってから皐月の針金掛け、うまくいかない。

2007年6月29日 13:00

 連合会通常総会・東京会館。18.00.事務局と送別会・楽しかった。

2007年6月28日 15:00

 連合会理事会・ADR・電子申請・年金問題。  

 

2007年6月27日 14:00

 

 

 07年度通常総会・終了後懇親会・二次会と疲れたが任期終了である。

2007年6月16日 13:30

 全日本労働問題研究会・山形県蔵王・
 「社会保険審査請求制度」Sさん担当。
 「遺族厚生年金不支給決定取消事例」Sさん担当。
 「傷病手当金不支給決定取消事例」Sさん担当。
 国民年金障害年金の処分変更が最近増加しているとの指摘。また審査会の様子を丁寧に説明された。取消事例2件とも会員が非常によく勉強していることが「はっきり」分かった。審査官請求・再審査請求、時間はかかるが成功したときの喜びは大きい。皆さん頑張っています。
 

 

2007年6月13日 13:00

 H社会保険事務所の調査・代理人として受けた。無事故。

2007年6月4日 10:00

 O社会保険事務所の定期調査・代理人として受けた。無事故だった。社保事務所には年金相談のお客様が多い。午後2時・年金問題で事務局と打合せ。

2007年5月16日 14:00

 

 

 T社・監督署の臨検・代理人として同席・有給休暇・残業時間の取扱いを注意され、是正した。

2007年4月7日 13:00

 新志会
 「交通事故死の労災・遺族厚生年金」Hさん担当。
 弁護士さんの和解方針に沿った労災の遺族補償年金・遺族厚生年金の手続き・支給決定を速める要請など、社労士ができる仕事を見事にこなしていく過程が凄く素晴らしかった。本物の社労士の報告は感動した。
 

 

2007年3月3日 13:00

 新志会
 「精神障害の労災申請・職場復帰について」Sさん担当。

2007年3月2日 13:30

 

 

 県央支部研修会。
「労災死亡事故の手続実務」(遺族厚生年金を含む)Mさん担当。
「高次脳機能障害として認定されるまでに2年半かかった事例」Yさん担当。
 神奈川県から出張されたYさんの実例研修は、足で調査・労災病院へ患者と同行など参考になることばかり、また、新しい疾病がぞくぞくと発見され、事故との因果関係を立証することは大事であるが、適切な医療機関とのめぐり会いも重要と感じた。社労士もここまで仕事ができると「アッパレ」としか言いようがない。

2007年2月28日

 基金審査会より棄却処分通知、請求人の希望で訴訟しない。  

 

2007年2月21日 13:30

 Sさん、労働保険審査会で口頭陳述・請求人と同行。初体験で大変。経験を重ねれば自分の主張を正確にできるようになる。

2007年2月9日 13:30

 

 

 全日本労働問題研究会・熱海温泉・
 「アスベスト・中皮腫・労災認定事件」Iさん担当。
 「解雇予告除外認定」HさんとNさん担当。
 「行政との各種交渉について」Wさん担当。
 アスベスト・中皮腫によって平成17年に死亡した労働者の遺族補償年金・葬祭料請求が認定されるまでを詳細に説明され、感動した研修会だった。

2007年2月3日 13:30

 新志会研修会・「通勤災害再審査請求事件」Sさん担当。
 オープンセミナー「労働基準法114条・115条・121条」Hさん担当。

2007年1月26日 13:30

 

 

 労働保険事務組合・鬼怒川温泉で研修会。
 「過労死における再審査請求事件」Mさん担当。
 「破産申立てから終結まで。未払い賃金の立替え払い請求」Tさん担当。

2007年1月18日 13:30

連合会理事会・賀詞交換会。Mさん・Tさんと一緒。18.30.新幹線20.00.帰宅。

2006年12月15日 09:15

労働保険事務組合の監査を受ける。無事故で安心しているところへお客様から死亡事故発生の電話が入り、社長と時間の打合せの上、会社へ向かった。

2006年12月14日 10:00

 

 

 連合会業務監察委員会・Pマークの見積もりがはっきりした。後は正副会長会・理事会の審議を待つこととなった。

2006年11月27日 13:30開始・14:50終了

霞ヶ関ビル26階・地方公務員災害補償基金審査会・代理人として出席・口頭陳述を行った。
 

 

2006年11月22日 13:00

 

 

 T社会保険事務所の総合調査。顧客の3社を調査された。不景気のため3社とも無事故。

2006年10月18日 14:00

 お客様の労働基準監督署の総合調査に立ち会う。労働時間管理・健康診断・36協定等の是正指摘を受け、早速社長と打合せ早急に是正することとした。  

 

2006年07月15日 15:30

 

 

 S株式会社の安全研修会で「隠された危険」をテーマに約1時間講演。約55名が参加。非常に熱心に聴いてくれた。感謝するのは私自身である。

2006年4月27日11:00

ユニオンと再び団体交渉。一部要求を飲んだ。その他の主張は受け入れられず団体交渉は決裂。  

 

2006年4月12日 14:20

 

 

 S株式会社の社会保険関係で会計検査院の調査となり、代理人として調査を受けた。パート・短時間労働者の労働時間によって適用されているかが重点検査。いわゆる3/4条項である。結果は無事故。

2006年2月14日 13:30

 連合会の業務監察委員会・個人情報保護法との関連でPマークを連合会独自で開発・普及方法などを検討した。

2006年1月26日 11:00

 お客様の元社員がユニオンに加盟。団体交渉に立ち会う。根拠のある事の話し合いはすぐ歩み寄れた。しかし、主張の差は大きく、次の団体交渉までに相手の主張の中身を吟味することとした。

2006年1月18日 10:00

 

 

 お客様の運送会社の労働基準監督署の臨検に立ち会う。是正勧告書を渡された。これから一つ一つ社長・会社幹部と打合せ是正していくことになった。

2006年1月3日 10:00

 静岡県富士市で通称「宇宙人」Mさんの葬儀にキャンプ場の仲間と参加。凄く生徒に慕われていた様子が見られた。まだまだ若いのに残念。仲間が素晴らしいキャンプ場にしていくことだろう。「宇宙人 行ってらっしゃい」  

 

2004年1月8日 14:00

 港区芝公園・労働保険審査会・代理人として出席・口頭陳述した。約45分

 

 

1994年4月4日 事件簿2

 平成6年3月審査会で取消し処分と裁決された事件は、A市で月曜日から土曜日の昼まで単身赴任で寮から勤務し、土曜日の午後約80km離れた自宅へ自家用車で帰宅し、月曜日の早朝自宅を出て、途中で農耕車を追越す際、前方から来たダンプカーと正面衝突、死亡。この通勤形態を「土帰月来型通勤」と称していた。現在は「週末帰宅型」となっている。
 平成元年発生した事故で、遺族年金・葬祭料請求手続きから給付金支給まで約5年もかかっている。

事件簿

 

 

2006年7月10日

 住宅新築工事現場で梯子を踏みはずし、約4mの高さから転落負傷。障害補償一時金14級と決定され、審査官請求したところ12級と決定された。

1999年2月22日

 工場のスレート屋根(高さ8m)を踏み抜き転落、頭部・背中を打ち負傷。再審査請求で障害補償年金1級と決定された。以後介護補償給付も合わせて支給されている。

1996年5月16日

 離婚し、別の男性と結婚、子供3人に恵まれた。その後元の夫と同居し、元の夫が心不全で死亡。遺族厚生年金を請求、不支給とされた。審査会請求したところ、「処分変更」で審理されないまま支給決定された。
 

 

1993年2月2日

 アパート新築工事現場において、2階外部に梯子を掛けクーラー室外機の取付け作業中、バランスを崩し約3m高さより転落、床面コンクリートに頭部を打ち、救急車にて運ばれたもの。
 平成8年3月31日まで休業補償給付金支給され、同日治癒と医師が判断、障害補償給付支給請求書を平成8年8月14日申請、平成9年10月17日、障害補償年金1級が決定された。

1990年3月6日

 男性(50歳)の両眼の矯正視力が0.05の診断書で障害厚生年金を申請。障害厚生年金3級と決定された。審査官請求をしたところ、「処分変更」され2級となった。
 このことは、決定にあたって担当者が診断書を精査していなかったと判断されてもいたし方ない。

1987年7月1日

 工場内において、運送業者が資材を2.5トンクレーンで荷降ろし作業中、ボタン操作を誤り、資材が被災者の左大腿部・下腿に当たり負傷。労働者死傷病報告書・療養補償給付・休業補償給付・障害補償給付等に何ら疑問も持たずにいたが、痛みがひどいので、住居の一部を改良し、残金が少ないのに驚いて相談。労働保険審査官請求をしたところ、第9級が第7級となり、厚生障害年金も受給することになった。定年で退職、厚生老齢年金を受給。労災年金との調整も無くなり両年金共満額支給となった。

 

 

 
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